北の縄文ニュースレター

2013.04.11

2013年3月2日 道民会議シンポジウム/基調講演 猪風来氏

北の縄文道民会議シンポジウム

猪風来氏(縄文造形家)
テーマ「縄文造形は人類の根源美」

司会)猪風来さんは広島県のご出身ですが、北海道に20年間移住されていました。日本海に面した石狩市浜益に竪穴住居を建ててアトリエとされ、大自然のなかで自給自足の暮らしを続け、縄文の精神と造形を探り体得されました。縄文時代と同じように材料を野山から採集し、粘土を練り上げ、土器や土偶とじっくり向き合いながら、国宝となった中空土偶を再現されるなどすばらしい作品を数多く生み出していらっしゃいます。本日のチラシに掲載されている作品も、猪風来さんの作品です。複雑で精妙なスパイラルなど、美しく燃えるような激しさをも感じる表現には何が秘められているのでしょうか。猪風来さんお願いいたします。

猪風来氏

猪風来氏)私は岡山に在住して8年、活動を続けています。その前は浜益村で丸20年修行いたしました。20年間「縄文暮らし」をして、たくさんの作品ができました。そこで今日は、その縄文造形の真髄をわかりやすく提示したいと思います。
よく縄文は「混沌である」、「すばらしい装飾美である」と言われますが、最初にお断りしておきます。縄文は混沌ではありません。作者として何かを作ろうとするとき、混沌は作れません。明確な美のビジョン、論理、技量があって初めて創作が可能となるのです。つまり、きちっとした「縄文の様式美」があるということです。
そして、縄文の文様は装飾ではありません。装飾とは、きれいに飾ることです。飾るものは脇役であり、主体にはならない。しかし縄文の文様は、その文様こそが主体です。その文様がいかなるものであるか。今日はそのことを私の体験と作品によって整理してみます。

 

■縄文に惹かれて歩んだ道のり

私は岡山で「猪風来美術館」という小学校跡地を転用した美術館を開いています。私がその館長です。ここでは年2回、春と秋に公開で「野焼き祭り」を行っており、今年は4月28日に開催し、子供たちや一般のかたに縄文の野焼きを体験してもらいます。

猪風来美術館玄関  猪風来美術館玄関
縄文野焼き祭り

 

 

 

 

 

縄文野焼き祭り
これまでの私の活動を少し紹介します。
これは宮本亜門さんの沖縄の自宅です。大広間に私の作品を購入してくれました。実は以前、私が札幌で展覧会を開いたときに、ほとんど誰も見に来ないし買ってももらえない、もう万事休すというときに亜門さんが来てくださって、すすきので一緒に飲むことになりました。
そこで亜門さんが、何かおかしい、元気がない、変じゃないかと言うんです。それで、「もうこれが最後の展覧会で、たいへんな状態になっていて、もうおしまいなんです」と話しましたら、「縄文アーティストは世界で一人しかいないのに作るのをやめられたら困る。どうしたらいい?」と言ってくれました。私は酒も飲んでいましたし、「作品を1つ2つ買ってくれたらいいです」と軽く話しました。すると、亜門さんは「わかりました。何とかします」と。でも酒の席ですから、本気にはしていませんでした。
しかし、その後突然手紙がきて、なかに設計図が入っていました。手紙には、お金を振り込んだので、設計図のどこでもいいから作品を入れてくださいとあり、ただしテーマは沖縄にしてください、とのことでした。江戸っ子ですから粋ですよね。それで、私は縄文造形を続けることができたのです。

「縄文の渦」(1999年)

 

 

 

 

 

 

 

「縄文の渦」(1999年)
これはアントニオ・ガウディと交わりたいと思いスペインへ行ったときの様子です。カタルーニャ地方ベイタイ村の陶芸家・ジャウマ氏の工房で、スペインの伝統的な焼き物技術の修行をしました。そして工房で「熱烈にBelltall美術展」を開催し名誉ベイタイ賞を授与されました。

「熱烈にBelltall美術展」(2002年)

 

 

 

 

 

「熱烈にBelltall美術展」(2002年)

これは新潟県立博物館のエントランスホール前に立っている作品です。中越地震復興祈念モニュメントで、新潟ロータリークラブからの依頼で制作しました。地震後1年経って現場に行きましたが、まだたいへんな状態でした。そこで断食をして発想したものを作ろうと思い、この作品が生まれました。

「大地の女神像」(2005年)

 

 

 

 

 

「大地の女神像」(2005年)

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