北の縄文文化について

縄文文化とは

日本列島にいつから人が住み始めたのかは、まだはっきり分かっていません。
しかし約10万年前にアフリカを出た人類の祖先は、数万年前には日本列島にたどりつきました。土器をもたず、石の道具を使い、移動生活を送った人々が担ったこの最初の時代を「旧石器時代」とよびます。
その日本列島に約1万5千年前、土器を使い、定住する人々が現れました。それが約1万数千年にわたって続く縄文文化の始まりでした。

縄文人は、旧石器時代から続いてきた移動生活をやめ、土器や弓矢などの道具を使い、狩猟・漁労・採集を生活の基盤としながら、竪穴住居を建てて定住生活を送りました。世界的にみると、新石器時代の定住は農耕を生活の基盤としていますが、縄文文化は本格的な農耕や牧畜を持たないで定住を成し遂げており、その点で世界的にも希有な文化といえます。

また、土器を道具としてだけでなく、様々な文様や装飾をつけて芸術性を高め、その造形美は世界の土器文化のなかでも異彩を放っています。さらに、縄文人の精神世界を反映した土偶を作り、それらを使った儀式を行うなど、縄文人には独特の世界観があったと考えられています。

自然との共生

縄文人は、周辺の自然環境と調和しながら集落をつくり、豊かな定住生活を送っていました。そこには、自然のバランスを壊すことによってその恵みが得られなくなり、自らの生命を危うくすることを避ける知恵があったと考えられています。また、1万年の長い年月には、温暖な時期もあれば寒冷化した時期もあり、気候や環境が大きく変化していました。この間、縄文人は生活様式を工夫し、環境の変化に適応しながら暮らしました。そうしたなかで、人や動植物が死んであの世へ行き、再びこの世に還ってくるという「命の循環と再生」の思想が育まれ、自然と共生する持続可能なライフスタイルが、世代から世代へ引き継がれてきたと考えられています。

北海道の歴史の歩み

今から約2千300年前、九州にはじまった水稲耕作を伴う「弥生文化は、その後本州北部まで広がりました。しかし北海道では稲作が取り入れられず、縄文文化の特色を受け継ぐ「続縄文文化が続きます。この続縄文文化は、5世紀ごろにサハリン方面から南下してきた「オホーツク文化の影響を受け、さらに8世紀ころには本州の文化の強い影響を受けて、「擦文(さつもん)文化へと大きく変わります。そして、14世紀ころには「アイヌ文化へと移行し、北海道独自の歴史を歩んできました。

縄文文化の現代的意義

秋、川に鮭が上り、森に木の実がなる恵み豊かな北海道の大地も、冬になると厳しい寒さと雪に覆われます。しかし、春には再び生命が輝き大地は喜びに満ち溢れます。縄文人、そして後のアイヌの人々は、こうした自然のサイクルとともに生き、日々の糧をもたらす自然環境を大きく改変することなく長い歴史を積み重ねてきました。また、農耕や牧畜を行わなかったことから、社会的な格差が少なく、富や権力を争う戦争も起こらず、極めて平和でおだやかな時代でした。

また縄文時代には、何度かの重大な気候変動が起きたことが分かってきました。しかし縄文人たちはその気候変動を様々な知恵で乗り切り、新しい環境に社会を適応させながら文化を持続させてきました。

持続可能な社会を築いていくことが人類共通の課題となっている今、こうした特色を持つ縄文文化から、私たちが学ぶべきことはたくさんあります。また、日本の縄文文化がもつ世界的な価値とは、大きな人工的構築物を作り出す技術や知識ではなく、自然のなかで人が謙虚に暮らすことにより、生命と文化を共存させた精神性や英知であるといえるでしょう。

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