北の縄文ニュースレター

2013.04.16

2013年3月2日 道民会議シンポジウム/対談 猪風来氏×阿部千春氏

対談阿部氏)猪風来さん、ありがとうございました。

私は平成元年に南茅部町に来て、20数年この土偶を見てきましたが、気がつかなかったことがたくさんありました。国宝になって初めてじっくり見ることができ、正確な実測図を作りました。そうすると、先ほど猪風来さんが言ったようにシンメトリーではないことがわかりました。右足が少し前に出て、左肩も少し前に出ています。顔は少し上を向いて、頭を少し傾げている。最初はシンメトリーに作れなかったため偶然にこうなったと思いましたが、まさに人間というのは、右足が前に出ると左肩も前に出ます。おへそに通じる正中線(妊娠線と言う人もいます)も、少し曲がっています。これは正確に人間観察をして作った土偶だろう、ということことがわかり、また感心したわけです。

それからCTスキャンをかけてみて、壊すことを前提に作っていることが明らかになりました。壊すというのは、死ということです。私は、死が次の再生のスタートである、と自分なりに解釈していました。しかし猪風来さんが土偶を作っている姿を見て、「もしかしたら違うぞ」と思いました。

「二項対立」と先ほど言いましたが、縄文には、赤と黒、偶数と奇数、男と女、こういった二つの相対する要素が一つに入っている。二項対立の究極は生と死で、土偶を作る猪風来さんを見たときに、生命を吹き込むようなものすごい迫力を感じたのです。生命には死も含まれています。縄文の人たちは、最初から「生と死があるのが生命」と考えて作っていたのではないか、と考えが少し変わりました。

猪風来氏)そうですね。ものを作るときには「入魂する」と言いますが、入魂の作法を縄文人はきちんと確立していたと思います。たとえば縄をよるとき、縄は生命を守るものであり、もとは植物から作るわけですから、そこに植物の霊気を入魂しています。しかもそれで文様を生み出しています。縄自体を大きな流れのなかに組み込もう、という意識が現れているのだと思います。

作り手がものを作るときは、生命、魂を吹き込んでいるわけですから、それを思いっきりやっていなければ死は存在しません。私も思いきり生命を吹き込むためにあらゆる技法を行使しました。土器や土偶は、作るものによって土のブレンドを変えます。北海道の粘土は腰があって、バランスよく上の重さを支える力が抜群です。

 阿部氏阿部氏)また「二項対立」の話になりますが、普通は二つの違うものを想定した場合、西洋の弁証法のように、AがBを否定し、昇華、発展していきます。これが西洋的な考えですが、先ほどの漆や翡翠や中空土偶にある二項は、対立せず、融合している感じがしますね。

 猪風来氏)そうです、これは融合文様です。対立を超えた概念です。パワーあるものをすべて集める、いわばプラス思考ですね。土偶の形を作るときもそうで、土を上にプラスしていきます。この土偶を頭の先からつま先まで一つ一つじっくり見ていくと、たくさんの違うものが共存し融合しています。マイナスはしません。いろいろなパワーを集めて霊的な力を宿させるというのは、縄文のお得意の芸なのです。

たとえば、胸に女性の乳房がありますが、その周りの文様は非常に鋭い目になっています。シマフクロウなど猛禽類の目にも見えますね。これは「異種混合」をしているわけです。つまり、人間の土台に違う種のパワーを宿している。西洋でも天使などがそうですね。人間に翼が生えて鳥をプラスしています。

これは霊的な世界では当然起こりうることです。万物は同根であり、特に人間は鳥や獣、ヘビなどと非常に近しいものですから、それらが霊的に結合し、力を発揮することは当然考えられることです。それで、あのように目のある胸が表現されるわけです。パワーを集合させ増殖させる技法が、ここでも使われています。

また、膝の部分に丸いものがついていますが、これは外から見ると関節に当たります。肩にも丸い膨らみがあり、これらは筋肉を示唆しています。後頭部にも丸があります。このように魂のパワーが必要なところには丸があります。そしてこの丸は、かすかにウェーブしています。コンパスで描いたような丸ではない。月が満ち欠けするような、自然界の微妙なイメージを取り込んでいるのでしょう。これは現代的な西洋のユークリットの概念では理解できない世界です。

三角や四角もウェーブしています。ウェーブしているからこそ、胸にある目も鋭さを表現できます。そしてこれらのウェーブはすべて渦の一部です。三角に見えたり丸や四角に見えたりしていますが、実に絶妙に造形しています。最高級の表現技術を持つ人が作ったのだろうと思います。

また、このように胸には線がありますが、こうした「直線の平行線」があることで、全体の文様のバランスが非常にわかりやすくなっています。実はこれは「平行線」ではなく、上から見ると胸は楕円ですから、この線は円であり渦です。渦が重層的に描かれているのです。縄文人は、そういった視点で自然のあるがままの姿を重層的にとらえているのです。

これは違う遺跡をみるとよくわかりますが、たとえばストーンサークルがありますね。ストーンサークルにはいろいろな説がありますが、天地交合の図を表していると言われます。地のパワーがわき上がり、天のパワーと交わって命が生まれ、豊穣をこの世に授かる、そういったものを表現しています。つまり、この重層的な渦の文様は天地交合であり、男女交合の図でもあると思います。しかも、異種までも融合してしまう。アメリカインディアンのトーテムポールなどもそうで、熊や鳥や人、さらに、石も風も同根なのです。

縄文人は、すべてを複合的にトータルな世界として認識していました。そういう能力があったのだろうと思います。今の私たちはその力を失っています。しかし、それを復活させることは、すでに可能になっています。縄文のスイッチを入れさえすれば、若い人たちやみんながその力を得て、そこから新しい発想が生まれると思います。

カックウはお腹がふくらんでいて、そこにはきっと赤ちゃんがいますが、アゴにはヒゲ状のものがあります。このように男女もあり、天地もあり、異種もあってパワーアップしています。おそらくそういうパワーを必要とした時期に、この土偶は作られたのでしょう。天地異変があったのかもしれない。あらゆるものの霊力を借りなければならなかった現実があったのでしょう。パワーを総動員してできたのが、この最高傑作なのです。

阿部氏)今、猪風来さんが熱く語ってくださったのは、縄文文化を引き継いだ私たちには西洋にない概念がある、それを復活させ発展させよう、ということですね。縄文文化は空間の認識においても多視点だけでなく、多時間、多次元といった感覚を持っている。そして二項が西洋的な対立の関係ではなく、融合している。そういった新しい価値観が、縄文のなかにある、ということだと思います。

おそらく縄文ブームが起きる前から、たとえば50年も前にアンドレ・マルローが来日したとき、「日本は同じアジアにあっても他の国とは違っている、死の意味において違う」、などと言っていますが、やはり気がつく人はもう気がついていたのでしょう。

この、二項が対立するのではなく融合していく社会が、縄文文化を通して私たちが達成すべきテーマであると思います。それは考古学というよりも哲学です。産業革命のあと、いろいろな芸術家が生まれました。ウィリアム・モリスなどは伝統的な文化のよさを発見し、それを芸術の世界で発信し一つのムーブメントをつくりました。今も、特に3.11の震災後、自然と人間との関わりは、本来どうあるべきかということをもう一度見直す時期に来ていると思います。そういう価値観を縄文の大切さとして発信し、それが世界遺産の登録につながればいいなと思います。

 猪風来氏猪風来氏)日本は今、文化的な磁場を失っています。縄文遺跡は発掘して調査し、その後は道路になり、文化を体感できる場が喪失してしまいます。ですから、この世界遺産登録を目指す遺産は最後に残った砦のようなもので、それはどうしても守り続けなければいけない。遺産登録が可能になれば、観光的な注目もありますが、ぜひそれを文化的磁場として活用してもらいたいと思います。若者が文化を吸収し体得する場として活用してもらいたいと思います。

日本には現在たくさんの造形大学がありますが、それらは全部西洋造形であり、縄文造形を学ぶ場はどこにもありません。しかし縄文には、イギリス人やフランス人が「世界の宝だ」と言って熱望するものが蓄積されているのです。

私が縄文に回帰していた時期、ヨーロッパ人は、アルタミラの洞窟に回帰したり、ロマネスクに回帰したり、ここ数十年は「回帰合戦」のようになっていました。これはなぜかと言うと、人類が生み出した原点にもう一度立ち返り、そこからでないと、創造と破壊を繰り返した20世紀芸術を越えることは不可能だ、というところまで来てしまったのです。

今のままでは20世紀を超える芸術は出てきません。根源に立ち返って新しいものを生み出そうという動きが世界規模で起きています。その走りが私たちでした。あるときフランスで野焼きをしましたが、取り出した土器を見てパリから来た女性が「こんな美しいものは見たことがない!」と感動してくれました。日本ではだれもそんなこと言いませんでした。35年前は、アーティストたちの間でも「なんだこの汚いものは」「よく作るな」と言われました。

しかし今、そんなことを言う人は一人もいなくなりました。発想は大転換しています。土が焼け焦げて変化している、あの物体を「こんな美しいもの」とパリジェンヌが言う時代になったのです。スペインでもそうです。表通りはキラキラしていますが、裏通りはナチュラルな色彩のものがあふれ、そこに人だかりがあります。日本人やアジア人は表通りで買い物をしていますが、ヨーロッパ人は裏通りで薄汚れたものを買い求める、という現象が起きています。

今、世界中の美のキーワードは「ナチュラル」です。そして、Jomonはもはや世界共通語です。学者も平気でDoguと言います。Jomon、Doki、Doguは全部国際用語になっています。それに負けないように、私たちはこの地べたにある宝を自分たちの血肉にし、一刻も早く新たな美を提示できる拠点として、縄文遺跡を世界遺産にできればと思います。

阿部氏)そうですね。海外のほうが縄文に対する関心が高まっています。自然のなかで1万年以上も命を育んできた縄文文化、その心を、この北海道から発信していくことが大切だと思います。今日はありがとうございました。

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