北の縄文ニュースレター

2013.09.02

2013年3月12〜14日 北の縄文入門展「直行先生の公開縄文講座」

■日時
【第1回】平成25年3月12日(火)12:00~12:50
【第2回】平成25年3月13日(水)12:00~12:50
【第3回】平成25年3月14日(木)12:00~12:50
■場所
札幌駅前地下歩行空間 北4条イベントスペース
■講師
大島 直行 氏
(伊達市噴火湾文化研究所 所長、札幌医科大学客員教授)

直行先生の公開縄文講座 第1回

北の縄文入門展「直行先生の公開縄文講座」

1 縄文を学ぶ入り口 ~ 考古学以外の入り口を探る

本日から「北の縄文入門展」の「公開縄文講座」ということで、3日間にわたり講演しますが、本講座においては、私たちが縄文を学ぶための入り口としてどのようなものが考えられるのか、考古学以外にも縄文への入り口があるということをご紹介していきたいと思います。

2 縄文への入り口(その1)~「縄文聖地巡礼」

そこで、講座の第1回目となる本日は、まず、中沢 新一と坂本 龍一についてご紹介していきたいと思います。なぜ、この二人が、私たちが縄文を学ぶうえでの入り口になるのでしょうか。この二人には『縄文聖地巡礼』という著書があります。2011年に木楽舎から出版されていますが、縄文関連の著書の中では傑出しており、1行1行に深い意味が込められた著書です。このように縄文の本質を見抜いている方々のお話を聞く、読むということが大切であると思います。

(1) 中沢 新一について

坂本 龍一が世界的な音楽家であることはご存じのとおりです。中沢 新一について少し補足させていただきます。
中沢 新一は、強いて言うならば人類学者です。単身でチベットに渡航し、チベット仏教を学んで、33歳の時に『チベットのモーツァルト』という名著を著しました。その当時は東京大学に在籍しており、西部 邁 文学部教授が彼を評価して、助教授として教授会に推薦しましたが否決されてしまいます。おそらく優秀すぎたために嫉妬されたのでしょう。その後、中央大学や多摩美術大学が彼を教授として招きますが、彼は何れの大学からも去ってしまいます。彼は、大学という組織の枠に収まらないのです。現在は、明治大学が特任教授として彼を招聘しています。
彼は、何れの大学でも、研究所を設置し、著作に力を入れています。教壇に立って生徒に講義を行うということは彼の意図するところではないようです。既存の学問の枠に捉われず、敬愛する折口信夫が確立したような「軌跡の学問」を目指して思考を繰り返し、レベルを高めていくということが彼の目的ではないかと思います。

(2) 人はなぜ死者を墓穴に埋めるのか ~ その答への入り口

さて、私は現在、著書を執筆しています。1冊目は『月と蛇と縄文人』(副題「シンボリズムとレトリックで読み解く縄文人の神話的世界観」)というタイトル、2冊目は『人はなぜ死者を墓穴に埋めるのか』というタイトルです。
さて、なぜ、私たちは死者を墓穴に埋葬するのでしょうか。世界の人々の多くが死者を墓穴に埋葬します。縄文社会にあっても、多くの縄文人は墓穴に埋葬されているはずです。このように普遍的な行為ですが、その理由はよく分かっていません。しかも、それだけではありません。以下のような問いについても、その答えはよく分かっていないのです。

・縄文人はなぜ竪穴住居を丸や楕円に掘ったのか
・縄文人はなぜ墓を丸や楕円に掘ったのか
・縄文人はなぜ丘の上にムラを作り続けたのか
・縄文人はなぜ1万年間も竪穴住居に住み続けたのか
・なぜ縄文人は石を丸く並べてストーンサークルを作ったのか
・縄文人はなぜ壺の形をした土器を作ったのか
・縄文人はなぜ土器に縄目を付けたのか

坂本 龍一と中沢 新一は、考古学者ではありませんので、これらの問いに答えることに興味・関心があるわけではありません。彼らが関心を示すのは、なぜ考古学者が、こうした問いに答えられないのかということです。

(3) 変わらない人間の心性と世界的な視野の必要性

現在、私が執筆中の著書『人はなぜ墓穴に死者を埋めるのか』では、そのプロローグで、『縄文聖地巡礼』に書かれてある二人の会話の一部を紹介しています。
そこでは、映画の草創期におけるロシアの映画監督のセルゲイ=エイゼンシュテインについて語られていて、「映画がなぜサスペンスを求めるのかというと、それは狩猟と関係しているからであり、ただ、ショットを積み重ねるだけで映画になるのではなく、そこに編み籠の技術、つまりカットして編んでいく技術が必要である。人類の文化というのは、統一されたもののなかに断片を見て追跡する技術と、断片を組み合わせて統一する技術、その二つの技術の統一体として理解できる」「映画のモンタージュという技法も狩猟と編み籠を合わせた技術であり、人間の作りあげる文化の多くは、この二つの原型を発展させたものであって、旧石器時代の生活と変わらない」というエイゼンシュテインの考えが紹介されています。さらに、彼の作品『戦艦ポチョムキン』の完成度の高さに触れ、「草創期の飛躍がほぼ完成型を作り出してしまう」「草創期の縄文土器の完成度の高さに通じる」とも語られており、人間の文化・システムを成り立たせる心性は、石器時代から現代にいたるまで変わらないということが明らかにされているのです。
また、二人の会話の中では、日本の歌手「美空ひばり」とアメリカの歌手「プレスリー」の音楽を関連させて聞くことができる、ということを例に挙げながら、「世界的な視野を持ち、ユーラシア大陸から日本を見るような考え方でなければ、何も理解することはできないのではないか」とも語られています。
人間はなぜ文化を形成するのか、そのような人間の根源的な心性にかかわる問いに答えるためには、このようなところからヒントを得て、広い視野を持ち、一見すると何ら関連性のないものについて、何処かに関連性があるのではないか、というように結び付けて考えていくことが必要ではないかと思います。

(4) 縄文人の思考 ~ 合理的な思考とは異なるもの

私たちが縄文文化について考える際には、現代の感性で、合理的に解釈することが多いと思いますが、私は、縄文人の生活様式は合理的に考えて創り出されたものではないと考えています。合理的な思考能力は、潜在的に誰もが脳の中にもっていますが、歴史的にみると、どうやら農耕文化に移行すると、その能力を発揮するようなのです。縄文人は農耕を行っていませんでしたので、合理的な思考を必要としなかったのではないかと思います。
現代の私たちは、経済的価値観や発展史観に基づいて物事を考えます。その基礎には科学があります。それで世界のすべてを理解できると思ってしまっていますがそれは驕りです。科学はしばしば行き過ぎてしまうため、そこに哲学が生まれてきます。哲学は、農耕文化をもとにしてシステマティックな人間関係を構築したギリシャにおいて、人間関係の破壊を回避するためのものとして、紀元前7世紀ころに生まれたものであると思います。火、水、川、空気など自然との折り合いの中で、1万年にわたり生きてきた縄文社会においては、人と人との軋轢が生まれることはなく、人間がトラブルメーカーになることもないのです。したがって、誤解を恐れずに言うならば、縄文人には哲学は必要なかったのではないかと考えています。

(5) 縄文時代の時代区分について

縄文時代の1万年間については、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6つの時代区分をよく耳にしますが、私が現在執筆している著書ではこの時代区分を用いていません。縄文時代の1万年間を一つの時代として考えています。縄文時代の草創期から終わりまで、彼らに文化的な発展も、文化を発展させる動機もないと考えるからです。ただひたすら、自然と折り合いをつけて生きてきたのです。
このような6つの時代区分を用いない研究者は他にもいます。一人は、京都大学の泉 拓良 教授です。有名な民族学者の泉 靖一を父に持つ方です。10年ほど前に小学館から発刊された著書の中で、縄文土器について執筆していますが、その中で「自分としては、草創期と早期という時代区分はそのまま用いるとしても、前期、中期、後期、晩期には、文化を論じられるだけの差がないため用いない」ということで、草創期、早期、その後は一つの時代区分という3つの時代区分を採用しています。
もう一人は、北海道新聞の夕刊に月に1度、考古学のエッセイを掲載している、岡山大学の松木 武彦 教授です。彼が新潮社から発刊した『進化考古学の大冒険』という著書の中では、6つの時代区分を一切用いていません。やはり、この6つの時代には文化的な差はないということでしょうか。

(6) 小括

ここまで述べてきたとおり、中沢 新一と坂本 龍一の二人は、私たちが縄文文化を知ろうとする際に、十分に入り口になりうる方々です。続きは『縄文聖地巡礼』を読んでいただければと思います。縄文遺跡群を世界遺産に登録していくに当たっては、世界の中に位置づけていかなければならない、そのような感性が、この著書の中で語られているのです。なぜ、日本列島で、世界に先駆けて縄文土器が誕生したのか、そのようなことを考えることが大切です。そのためには、この二人のような発想に立つことが有効ではないでしょうか。

3 縄文への入り口(その2) ~ 『蛇と月と蛙』

次は、田口ランディという小説家・エッセイストについてご紹介します。執筆した小説等では、性的なことを題材にしながら、縦横無尽に死生観を展開しています。その中でも『蛇と月と蛙』と題したオムニバス形式の短編集には、縄文に関する興味深い記述があるのです。

(1) 『蛇と月と蛙』の中の関連記載

この中では、小学生であった著者がピアノのレッスンの際に蛇の交尾を目撃してショックを受けたこと、交尾の際に蛇が絡み合う様子がしめ縄に似ており、しめ縄のルーツは蛇ではないかということ、交尾する蛇が、なぜしめ縄のような神聖なものとして扱われるのかは不明であるが、本当に異様な姿であったことが記されています。そして、その姿は「切実な感じで、羨ましいほどだった。生き物は淫らで健気だなあと思いました。でもきっと神様の目から見たら、人間もきっと、淫らで健気な生き物かもしれないですね。」と記され、この一節は終わっています。
実際に、蛇のオスとメスは互いに絡み合うように交尾を行うのであり、その姿から、例えば、民俗学者の吉野 裕子の見解では「しめ縄は、蛇の交尾をシンボライズしたものである」とされています。なぜ、蛇の交尾をシンボライズしたのか、ということを考えるにあたっては、人間の性的な側面に目を向ける必要があると考えます。それにより、縄文と蛇との関連性を考えることも可能となるのです。

(2) 縄文との関連性

考古学の中でも、長野県の土器には蛇の文様が描かれているとされていますが、なぜ蛇の文様が描かれているのかということを考えることが大切です。私は、新潟の火焔土器も、長野の水煙土器も、全て蛇に由来していると思っています。形状等が蛇に類似しているか否かという問題ではありません。なぜ人間は蛇にこだわるのか、人間にとって蛇とはどのような存在なのかということを考えなければならないのです。

(3) 蛇へのこだわりとその理由

なぜ人間が蛇にこだわるのか、それは蛇が脱皮と冬眠を繰り返し、死なない存在と考えられているからです。現在の私たちの世界では、蛇は気持ちの悪いもの、キリスト教を信仰されている方にとっては邪悪なものとされていますが、特に縄文文化のように多神教で、しかも農耕社会に移行せず、長く狩猟採集により生活を維持した人々においては、蛇は死なないものの代表として、いろいろなものにシンボライズ、つまり象徴的に表されているということを私たちは知るべきだと思います。
例えば、世界を代表するような保健医療機関であるWHO(世界保健機関)や札幌医科大学のマークには、なぜ蛇が存在するのでしょうか。札幌医科大学のマークは《アスクレピオスの杖》という蛇の付いた杖がモデルになっています。同様に、世界中の医科大学、医療機関、製薬会社のマークにおいても、蛇を用いている例が多いのです。さらに、日本の自衛隊の医療班のマークでも蛇が用いられているのだそうです。このように蛇が多く用いられる理由は、蛇が「死なない存在」とされているからです。iPS細胞を作リ出すような最先端医療でも、人が死ぬということを阻止できません。そのため、最後には、「死なない存在」である蛇に頼るのです。私たちは、死なないものをシンボライズして崇め奉るという風習から逃れられないのです。
このように、民俗学や民族学を紐解いていくと、日本だけではなく世界でも、人々は長いものをすべて蛇に見立ててきたということが分かります。このことを知って初めて、縄文土器に縄目文様を付けることの意味も理解できるようになります。さらに、縄を作製する理由も、蛇の交尾をシンボライズしているからであり、それは自然なことと考えられます。そのことに縄文人は1万年もの間こだわってきたのです。言い忘れましたが、吉野の指摘した蛇の交尾と縄文を結びつけたのは、地理学者の安田喜憲です。
驚くことに、北海道・北東北の縄文土器は、常に均一的に製作されています。それを構成する中心的な要素が縄なのです。先述した長野や新潟では縄を用いなくなる時期もあります。粘土紐で蛇を表そうとするのですが、北海道・北東北では、一貫して縄で蛇を表しています。そのような視点から縄文土器を観察すると、おそらく300種類くらいの縄を編み出していますので、いろいろな形に蛇をデザインし、土器の上で転がすことにより文様を付けたということと考えられます。型式分類を行わなくても、縄文土器から縄文人の心に迫ることができるということです。

4 本日のまとめ

本日は、坂本 龍一、中沢 新一、そして田口 ランディの著作、そしてその考え等が縄文の世界への入り口となりうるというお話をさせていただきました。

ありがとうございました。

【第2回講座へ続く】

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