北の縄文ニュースレター

2013.09.02

2013年3月12〜14日 北の縄文入門展「直行先生の公開縄文講座」

■日時
【第1回】平成25年3月12日(火)12:00~12:50
【第2回】平成25年3月13日(水)12:00~12:50
【第3回】平成25年3月14日(木)12:00~12:50
■場所
札幌駅前地下歩行空間 北4条イベントスペース
■講師
大島 直行 氏
(伊達市噴火湾文化研究所 所長、札幌医科大学客員教授)

直行先生の公開縄文講座 第2回

北の縄文入門展「直行先生の公開縄文講座」

1 縄文への入り口 ~ 「民俗学」と「民族学」

(1) 昨日から本日の話題へ

昨日は、私たちが縄文文化を好きになるための手がかり、縄文文化への入り口として、坂本 龍一と中沢 新一、そして田口 ランディを紹介しましたが、坂本 龍一と中沢 新一の両氏は、「民俗学」と「民族学」を用いなければ、縄文人を理解することはできないのではないか、ということも述べています。映画、美術、音楽などを総動員しなければ、縄文人を理解することはできない、セルゲイ=エイゼンシュテインも文化の創造について旧石器の人々から学んだではないか、ということを彼らは述べているのです。そのようなことに目を向けると、縄文文化の入り口に到達することができるということです。

(2) 「民俗学」と「民族学」から見えること

土器は「型式」で分類することができますが、それは土器を作製した縄文人の中に、型式を設定する意識があったからです。人間の中には、通常は意識していなくても、型式で分類してまとめるという意識があるのです。その点は縄文人も変わりません。
それでは、なぜ型式に分類するのでしょう。まず、人間には、抽象的な観念などを、性質が類似する具体的な事物によって理解しやすい形で表現する習性があるということを知るべきです。また、人間は、なぜ同じ場所に集まるのでしょうか、なぜ同じものを作製するのでしょうか、それは、不安だからです。他人と異なる衣服を着用する、異なる環境にいることに不安を感じるからです。つまり、周りの人々も持っている、彼らが信じる観念を表す、何か形あるものを持っていると安心するということです。
これらのことを明らかにしたのは心理学です。縄文人も同様で、土器を型式で分類することが可能なのは、縄文人が型式にこだわっていたからであり、その型式には、縄文人が心の拠りどころにしている「何か」があるということです。その「何か」を探るにあたって、「民俗学」や「民俗学」が入口となるのです。

2 縄文土器を発見した者 ~ 岡本 太郎

(1) 概説 ~ 縄文土器の発見まで

さて、物としての縄文土器を発見したのは考古学者ですが、その本当の意味を見出したのは岡本 太郎でした。
彼は1911年の生まれです。戦前、父親の仕事の関係でパリへ移住し、父母の帰国後も10年間にわたりパリに留まりました。彼は、人はなぜ絵を描くのか、絵とは何か、自らの行為にどのような意味があるのか、ということに高い関心がありました。当時、パリは世界中の画家が目指す地でしたので、そこに行けば答えがあるのではないか、と考えていたのです。パリでソルボンヌ大学に入学した彼は、同大学の教授で「贈与論」という古典的名著を著した世界的な人類学者であるマルセル=モースの講義を受け、そしてジョルジュ=バタイユという哲学家、思想家と親交を持つことができました。この二人の巨匠との出会いが、彼の思想を作り上げていきます。残念ながら、1940年の第二次世界大戦の勃発とともに帰国を余儀なくされ、失意のうちに帰国します。この時点で彼は、日本には芸術はないと考えていたのです。

(2) 縄文土器の発見

そして、1951年の秋、上野の国立博物館を訪れ、1階にある考古学の展示室に展示してある縄文土器、おそらく新潟県の火焔土器と思われますが、それを見て衝撃を受けます。この時、縄文土器には物質的な特徴のみではなく、精神的な特徴があることを見抜いたのです。その後、彼は『みづゑ』という美術雑誌の1952年の号に、見解をまとめた「縄文土器論-4次元との対話」という論文を掲載しました。その中では、「思わず唸ってしまったのは、縄文土器に触れた時です。体中が引っ掻き回されるような気がしました。やがて、何とも言えない快感が血管の中を駆け巡り、モリモリ力が溢れ、ふき起こるのを覚えたものです。単に日本民族に対してだけではなく、もっと根源的な、人間に対する感動と信頼感、親しみさえひしひしと感じ取る思いでした。」というように、感想を率直に述べています。
このことを、さらに分かりやすく解説しているのが、日本を代表する縄文の研究者である國學院大学の小林 達雄 名誉教授です。10年ほど前に、岡本太郎の展覧会が開催された際に寄せた文章の中で、「岡本太郎が縄文土器、土偶を、あの眼力で発掘した。…(中略)…考古学の分析ケースを、対象を、素材としてではなく、縄文土器及び縄文土器を作った縄文人に人格を与えたのである。しかし、考古学者の多くは、縄文土器が別人のように堂々と、美の世界に足を踏み入れて、歩き出す姿を、呆気にとられて、ただ目で追ってきただけであった。考古学の領域から離れて、勝手に動き出し、縄文人を追いかける暇も余裕もない、というよりも、考古学的にも追及する価値のあることに依然として気づかなかったのだ。確かに縄文土器の新しい一面を見直しはしても、美の関係者の動向を、目の端にとらえながらも、まともに対峙することはなかった。…(中略)…考古学の研究者は、この点は反省しなくてはならない。」と述べています。

(3) 縄文人の世界観の発見

それでは、岡本 太郎は縄文土器から何を見つけたのでしょうか。それは「縄文人の世界観」です。彼は、縄文土器には縄文人の精神性、世界観が込められているということを教えてくれたのです。この「縄文人の世界観」という概念がなければ、縄文土器の奇妙な形や文様を読み解くことはできません。
さて、私たちの国の中での人々の生活・習俗等を研究するのが「民俗学」、世界中の人々の生活・習俗等を調べるのが「民族学」ですが、彼は、マルセル=モースから民族学の講義を受け、「人はなぜ絵を描くのか」という根源的な問いについて思索を巡らせていました。そのような背景があったからこそ、縄文土器に世界観を発見することができたのだと思います。

(4) 縄文人の世界観の読み解き

岡本 太郎は、フランスの文化大臣(対談当時)アンドレ=マルローや日本の考古学者 江坂 輝弥との対談の中で、縄文文化とヨーロッパのケルト文化は非常によく似ていることに触れ、地球の裏側のような離れた地域で、異なる時代に同様のものが作製されているのは、人間の想像力というものが、文化の流れや年代などを遥かに超えているからではないか、人間というものは永遠の存在だから、その永遠の生命力は、何時に何処で、どのように飛び出すか分からない、と述べています。

3 「民族学」と「民俗学」の重要性

(1) 人間としての思考の共通性

「民族学」も「民俗学」も現代を生きる人々の生活について研究するものですが、縄文文化については、その終期が約2,300年前と言われていますので、それだけの時間的間隔がある現代と縄文文化について、同様に論じることができることはできないのではないか、という議論があります。
しかし、私たちも縄文人も同じ人間です。10万年前にホモサピエンス・サピエンス(新人)がアフリカで誕生してから、脳は進化していないのです。脳の機能、人間としての基本的なものの考え方は同じであるということです。私たちは、特に農耕社会になって以降、加速度的に変化する環境の中で、遺伝的に受け継いだ「根源的なものの考え方」を押しのけ、適応的に新しいものの考え方を創り出して現代を生きているにすぎません。ただし、遺伝的に受け継いだ「基本的なものの考え方」がなくなってはいません。したがって、誰でも縄文人の世界観を思い出すことができるのであり、そのためには、民族学や民俗学、さらに心理学と宗教学の力を借りることが大切であるということです。

(2) 神話的世界観 ~ 野生の思考

それでは、縄文文化への二つ目の入口である民族学と民俗学をどう利用するか、ということですが、これについては、人間ですから、縄文文化から現代にいたるまで、基本的にその行動や思考には何らかの共通性がある、ということをまずは考えるべきです。先ほど、縄文土器と古いヨーロッパの基層をなしているケルト文化の文様の類似性に関する岡本 太郎の指摘について述べました。これは偶然であるという議論もありますが、なぜ偶然が起こるのか、本当に偶然なのか、偶然性を排除する要素があるのではないか、ということを考えるべきです。そこに、民族学の真骨頂があります。
そして、そのように考えていくと、実は人間の根源的なものの考え方というものがあるということです。岡本 太郎は、直接的に述べてはいませんが、そのことを「世界観」と表現したのだと思います。「縄文人の世界観」には、現代を生きる私たちのものの考え方とは異なる考え方が詰まっているということです。かつて、20世紀の知性と言われたフランスの人類学者であるレヴィ=ストロースがブラジルで先住民の社会を調査した際、ある一つの考え方に気づき、それを《野生の思考》と表現しました。それは、現代の私たちが、資本主義経済の中で誰もが持っている科学を基盤とした合理的なものの考え方や、経済的な価値観とは無縁の世界です。歴史的な環境に毒されない、純粋にホモサピエンス・サピエンスとして、10万年前にアフリカの地で生まれた時から持っている、人間としての根源的な「ものの考え方」だけで生きている人々がいるということです。それがまさに、民族学がテーマにしているものでもあるのです。それを私は、縄文人の世界観を表すものとして、《神話的世界観》と表現しています。この内容をさらに読み解くのは、明日ということになります。

4 最後に ~ 岡本 太郎からの縄文を読み解くヒント

最後に、縄文を読み解くために岡本 太郎からいただいたヒントを確認しておきたいと思います。これは、光文社文庫『日本の伝統』に掲載されています。

「多くの人はそのような事がら、風俗は、ものの因果、理屈を無視した原始的で野蛮な迷信、考えかただと片づけてしまうでしょう。だが笑ってはいけない。今日だってなおさかんに、大まじめにおこなわれているのです。鰻供養、鶏供養をはじめ、針供養など、かなり仏教的に演出されているものの、やはり原始的な心性の残存です。
さて、このような生活の祭りを中心として、原始時代においては物質的、また精神生活のすべてが宗教によってささえられています。もちろん、あらゆる美観も、ちょうど今日の美形式が、すべて資本主義的生産様式の上に成りたっているように、ここでは宗教的意義を負っているにちがいない。土偶、土面、土版などはもちろんですが、日常の用具である土器の形態から紋様にいたるまで、厳格なイデオロギーをになわされていると考えなければなりません。それが実用的な目的だけで作られているのではないことは、形態を見れば一目であきらかです。そしてまた、あの複雑で怪奇な縄文式模様が現代の”芸術のための芸術“のように、たんに美学的意識によって作り上げられたのではないこともたしかです。それは強烈に宗教的、呪術的意味を帯びており、したがって言いかえれば四次元をさししめしているのです。」

ありがとうございました。

【第3回講座へ続く】

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